山下財宝伝説日本では、そんなにメジャーではないこのお話。 ところがフィリピンではこの話を知らない者はいない。 「山下財宝」だ。 第二次世界大戦中に、マレーのトラと呼ばれ、連合国軍から恐れられた、旧日本軍、山下将軍がフィリピンのどこかに隠したといわれる財宝伝説だ。 その財宝の総資産は1兆円とも2兆円とも言われている。 まぁ、簡単に言っちゃえば、徳川埋蔵金伝説のフィリピンバージョンみたいな感じだけど。 ちょいと違うのは、これはそんなに古い話ではなく。 そして、現実に財宝が出たという話があるからだ。 以下に詳しく述べると・・・。 山下財宝伝説------------------- フィリピンにおいて「山下財宝」として伝説化され、その存在さえ疑問符がついていた純金のコインが一挙に168枚も出現した。 金貨の表面は「福」という文字がレリーフとなっているため「マルフク」と呼ばれる。 1944年10月、フィリピン・ルソン島中部のクラーク飛行場に大将山下奉文が降り立った。 その3ヶ月前、クラーク飛行場に厳重な梱包物が着いた。それがマルフクでおよそ1t。枚数にして2万枚前後と推定される。 しかし、11月、ルソン島の南、レイテ島が米軍の手に落ち、戦局は急を告げ、白金収集どころではなくなった。マルフク金貨は山下司令部のあったマニラ近郊、マッキンレー兵舎に保管されていたが、順次、いくらかは各部隊に分配され、他は山下司令部とともに運び出された。 敗戦を北部山岳拠点で知る山下司令部には、およそ700枚のマルフク金貨があった。これが投降直前、将兵に配られている。 骨と皮にやせ衰えている日本兵が金貨を持っている。収容所から流れ出した噂はさざなみのように広がった。日本軍の北部に向けた退却路はすべて「黄金の道」となり、特に破壊された日本軍トラックなどの周囲は、100m四方が掘り返されたという。「山下財宝」伝説の始まりである。 ---------------------------------- まぁこんな感じだ。 普通の思考の持ち主の日本人ならば。 『そんなもん当てにしないで、まじめに働けっ!』 と言うでしょう。 ところが。 多くのフィリピン人は、いまだこの財宝がどこかに眠っていると信じて疑わない。 なぜならば、今は昔、マルコス政権時代。 マルコス元大統領は、この財宝を見つけるべく、多くの専門家、そして地図、文献などを持っていたんだ。 マルコス大統領が、この財宝のほとんどを見つけてもってっちゃったって言われているけれども。 本当かどうかは俺は知らない。 山下財宝なんて存在するんだろうか? 低い賃金、低迷する経済、完膚無きまでに破壊され尽くした独自の文化、雇用不安、宗主国アメリカの影、日本への憎しみとあこがれ…。 山下財宝はそうした現実にあえぐフィリピン人の見た幻想なのかもしれない。 でも、まだ未発掘の財宝があると信じて疑わないのは、何もフィリピン人だけではない。 日本人もこっそりやってきて、宝探しをしているみたいだ。 俺が住んでいたミンダナオの北部に、カガヤンデオロという名前の都市がある。 スペイン語で『金の谷』を意味するこの町は、昔金鉱脈があったらしい。 今でもね、がんばるとすこ~し見つかるんですよ。 写真のように。 でもね、ほとんど価値はない。 こんな事に熱中するならば。 もっと建設的で、日本にもフィリピンにも有益な事をすればいいのにね。 ジャンル別一覧
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